The report from tour participants
 
アフガニスタン・スタディツアーに参加された方々からのご報告
禁 無断転載
No.1


アフガンに行って来ました。
寄稿:TAKA さん 投稿日:2002/05/08(Wed) 15:13 掲示板No.731
ここへの書きこみは初めまして、TAKA@兵庫です。
この度、縁があって土屋さん達と同じく、アフガンに行って来ました。
日本から贈られた衣料を着ている子ども達にも出会いましたよ。
皆さんが贈られた衣料は、確実に現地で有効に使われています。
貴方の送られた衣料を来ている人がアフガンにいます。
決して、遠い国なんかではありません。
こうしたつながりに、心動かされるものがありました。

下に書いてあるのは、アフガンから帰って来て
まだうまく言葉がまとまっていませんが、
CHANCE!というMLに流した投稿です。
良ければご一読下さい。

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皆さん、どーもっす。
TAKA@兵庫、6日の晩にアフガンより無事に自宅に戻りました。
パキスタンやアフガンは、とても豊かな国でした。
それと同時に、日本は今、とても貧しい国だと感じました。

キャンプに行くと、子ども達がズラーっと集まってきて、
帰る時はずーっと笑顔で手を振りながら、走って車を追いかけてくれた。

冷たい水に感動できる。
手足があることに感動できる。
水浴びをした時に、食事ができる事に、
今日、誰かと出会えた事に感動できる。
毎日5回、神にそれを感謝して眠りにつく。

僕達は毎日の生活の中、何に感動しながら生きているのでしょう?
朝起きて、蛇口をひねって水を出し、顔を洗って歯を磨き、
冷えたお茶を飲んで食事をして、仕事をして、帰って風呂に入って寝る。
そこになんの感動もできないでいる。「当たり前」のことだと思ってる。

そして、その僕らの当たり前に感動して、とてもいい笑顔で笑う子どもは
父親や母親、兄弟を空爆で亡くしている。
皮膚病で、顔の皮膚がただれている。
結核にかかっている。
裸足で歩き回っている。
35℃を超える暑さ、日差しの中、今日も生きている。

10歳だと言うのに、とても体が小さくて細い。
とても汚い、布張りのキャンプに住んでいる。
故郷を追われ、何日も歩いてキャンプに来た。
帰りたいけれど、帰っても「何も残っていない」から帰れずにいる。

でも、生きているから幸せだと思える。
幸せだから、笑顔で笑える。
そして、遠く日本から来た僕達に会えて感動してくれてる。

書きたい事、伝えなければならない事は本当にたくさんあるけれど、
今はまだ上手くまとまりません。読みにくくてごめんなさい。


アフガンのカンダハールは、本当に崩れた建物ばかりでした。
周辺は地雷原がずーっと広がっていました。
車を飛ばしている中、1時間眠って起きても、そこはまだ地雷原。
そして、三時間走ってふと考えた。
あの老人はこの距離を歩いてきたのか、って。

「自分」達が出す二酸化炭素が、温暖化を促進させて
彼らの土地の雪や雨を奪い、干ばつを引き起こしているのかって。

でも、今日もカンダハールで建物を直している人がいる。
僕の出会った子ども達は、暑さに倒れる事無く生きているだろうか?
町の周辺で畑を耕していた彼は、地雷にやられていないだろうか?
彼らの笑顔は今日も変わる事無く、誰かに向けられているだろうか?

今でも、彼ら、彼女らの本当に吸い込まれるような笑顔や、
見上げればどこまでも続く空、星、大きな月が忘れられない。

彼らを苦しめているのは誰でもない、僕自身だ。
僕の住む国は、彼らの国に爆弾を落とす手伝いをしている。
助けを求めてきた人を、収容して追い詰めている。
今日もまた、新たに人を殺す計画を進めている。

キャンプにいた老人が僕らにこう言いました。
「私達の生活は、人の生活以下だ。でももうテントもお金も要らない。
 私達以外のほかの人が、こんな辛い目にあわないように、
 争いの愚かさを、色んな人に伝えてください」と。
ちゃんと聞き取れなかったけど、こういう内容のことを言ってた。
その時、僕は笑顔で笑う子ども達の手を握りながら話を聞いていた。

あの子ども達の笑顔を守る為に、僕達に何ができるんだろう。
その答えを出すには、もう少し時間が必要。
焦らず、ゆっくり考えます。
詳しい報告はまた後日。

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アフガン難民キャンプ視察の簡単なご報告
寄稿:土屋萬佐子 さん 投稿日:2002/05/08(Wed) 02:04 No.726
連休の間、縁があって、大塚モスクの方とパキスタン側、アフガン側両方の難民キャンプを訪問しました。
感想、と報告を、簡単にみなさんにお知らせします。


1週間の予定で、非常にタフなスケジュールでした。

私たちがたかだか1週間、何カ所かのキャンプを訪ねて
現地で何かができる、という訳では全くなく、
わたしとしては、現状を見聞し、その場の空気を吸い、
自分がどう考えるのか、という課題だけを抱えて行きました。

状況としては、4ヶ月前に比べると帰還した人がかなり多く、
少しづつではありますが、食料、生活物資などの
支援が届けられているようです。
最も、まだ、全く必要量は足りていないのですが。
特に、アフガン内のキャンプはまだまだ深刻です。

どこのキャンプでも、女性の医療問題、特に出産時の
ケアを出来るところが非常に少なく対応が急がれる課題だと思います。

テント内での暑さの方が、冬の寒さよりも辛い、
と言う声は、予想外のものでした。

そして、子どもたちは一様に明るく、
大人もこのような状況でも訪問者(私たちはまるでエイリアンのように
うつったことでしょう)を明るく迎えようと
してくれている姿に心が痛みました。

この子達が大人になる過程で、心の傷が癒される機会があるのだろうか、
という心配で気が気ではありませんでした。
メンタルケアの問題は、生きることに必要なものの整備が
優先されるため、全くそこまでたどり着けない、という現状の
ようです。(というか、その必要性の認識も
現地にはうすいのでは、と感じました。)

何時間車で走っても、地雷原と、ようやく、除去されたあとに
農作物を植えているわずかな作物を時折見かけるだけの
光景は異様でした。
まるで、他の星に紛れ込んだような気分でした。

そして、どこにいっても
ヒロシマ、ナガサキの経験のある日本が
なぜアメリカに協力したか、という質問を受けました。
日本人のとった行動の責任は重いと改めて感じます。

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難民キャンプの状況と同じようなレベルで
難民としてではなく普通の市民として生活している場が世界の各地に
ある、ということを確認できたのは非常に大きな収穫でした。

西アフリカに鍛えられたお陰で、
体調も崩さず無事に帰って来ることが出来たこと、多くの人との
出会いを感謝します。

追記

衣料支援プロジェクトで送られた日本からの衣料は
ほとんどが、無駄なく、有効に配布されました。
種類毎にきちんと分けてあったり、NGのものは殆ど含まれて
いなかったこともあり、非常に喜ばれました。
気持ちが伝わったのですね。

他国から大量に送られてきても、実際には使えなくて、
処分するにもお金がかかるので、放置されているものも
大量にありました。
現地のスタッフが少ないこともあり、私たちが
指示を守って心を込めて送ったものは、
確実に難民キャンプの方々に喜んで貰えたようで
一安心でした。
アフガニスタンから帰って
寄稿:IKEDA MITSUJI さん 投稿日:2002/05/09(Thu) 00:37 No.735
スタディーツアーBコースに参加した池田と申します。
いろいろな想いが絡まり、まだ気持ちの整理ができていませんが、とりあえず帰りの飛行機の中で、パキスタンとアフガニスタンの国境スピンボルダックキャンプからカンダハルを訪れたときの感想を書き留めましたので投稿させていただきます。

ある日、突然空から爆弾が降ってきた。
何の前触れもなく。
一瞬にして奪われた暮らし。
数多くの仲間が天に召された。
街も瓦礫に変わり果てた。
身を切られるような想いを残し、爆撃からの非難が始まった。

果てしなく続く乾いた大地を、あなたは歩いて来たと言う。
地雷が無数に埋まる大地を、あなたは歩いて来たと言う。
寒風をさえぎるものはなく、日差しをさえぎるものもない。
食べるものもなく、水もない。
空から降る爆弾と足元の地雷の恐怖に耐え、
家族を失った悲しみに耐え、
それでもあなたは歩いてきた。
ひたすらひたすら逃げるために。
ひたすらひたすら生きるために。

そうして目指した希望の地。
でも希望は遠く遠く逃げて行った。
途中力尽きた仲間。
国境を目の前に爆撃を浴びた仲間。
肉の塊もなかったと言う。
それでもあなたは希望の地を目指した。

たどり着いた希望の地。
でも、そこは希望の地ではなかった。
爆撃の恐怖は遠のいた。
しかし、足りないものばかり。
水、食料、薬、衣服、テント、明り、・・・
すべてが足りない。
その上、フェンスで仕切られ、管理され、
移動の自由を奪われた。

それでも、あなたは希望を捨てていなかった。
少しずつ水、食料、テントが与えられる中で、
かまどを作り、家の壁を作り、
時には暑さをしのぐ地下室さえも作って、
微笑みを浮かべて自ら暮らしを創っていた。

その強さはどこから来るのでしょうか。
神への祈りでしょうか。
非難の地にモスクを築く信仰でしょうか。
私は信じます。
あなたが真の希望の地、故郷へ帰り、
荒れた大地を緑の大地へと変える日を。

私はあなたに謝らなければなりません。
あなたを襲う爆撃に反対の声を上げることができませんでした。
私はあなたに謝らなければなりません。
あなたの声を聞こうとしませんでした。
私はあなたに謝らなければなりません。
あり余る物を持ちながら、あなたに差し出すことができませんでした。
これらの物は、本来ならあなたが手にする物だったかもしれません。
私があなたから奪った物かもしれません。

それでもあなたは、私に怒りではなく微笑みを返してくれました。
心が痛みました。
私に何ができるでしょうか。
どうしたら、あなたの隣人へと近付くことができるでしょうか。
あなたの希望が喜びへと変わる時、
共に喜ぶ者となれるように、知恵と力を与え給え。
  
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