アフガニスタンからのレポート
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禁 無断転載

2001年1月24日

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Quetta
最低気温:-5℃
最高気温:11
天気:Sunny
湿度:39%
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 朝、寒さで目がさめた。
 隣の部屋ではクレイシ氏がひとり祈りを捧げていた。

 朝食後すぐ、アフガン難民組織管理事務所(CAR)に向かう。
 昨晩はこの周辺で雪が降ったらしい。クエッタを囲む山々全体が、薄すらだが銀色に光っている。

 担当官との交渉に動きがある。リビア政府からの援助米が到着するので、CARが用意したサラブ地区の倉庫からコンテナ4基分の物資を即時搬出し、すべてのスペースを明渡して欲しい、ということだ。また、イスラマバードのCAR本部からのファクスによる通達で、すべての支援物資の管理をより一層強化せよ、とのことであった。
 ミーティング直後の10時30分、ジア氏はサラブ地区の倉庫に向かった。人員を手配しなければならない。搬出用のトラックはCARが5台分用意してくれる。CARからサラブ地区の倉庫の提供を受ける前に、JITが候補としてあげていた倉庫に物資を移しに行く。そこでは物資の管理をJITが直接行えるはずだから、今日中に一部仕分けをし、トラック積み込み直前の状態まで準備しておいて、明日からキャンプ内に運び込めるという計算だ。
CAR事務所
 CAR事務所の玄関をでると、シャイだが好奇心旺盛な子供たちが寄ってきた。青い紙でつくった凧をもっていたので、見せて欲しいと頼むと、青空高く凧をあげて見せてくれた。そこは広くくぼんだ空き地になっていて、大量のゴミが捨てられていた形跡がある。めぼしい物はなにもなく、子供たちの恰好の遊び場になっているようだ。7,8人の10歳前後と思われるグループだが、聞けば全員パキスタン生まれのアフガニスタン人だという。クエッタ市内でも、アフガンの子どもたちが物乞いをしている。

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)とのミーティングは11時からとなっていた。事務所はCARと同じブロックにある。ただ、一見は高級な邸宅風で、国連のマークもUNHCRの看板も、一切無いのが不思議だった。おそらく安全上の理由からであろう。来客用のパスを受付で持たされる。
 担当者は、市内から車で1時間半ほど離れた、モハメド・ケイル2というキャンプでの支援を勧めた。難民6,600家族がいて、うち400家族ほどが最近流入してきている。今週だけみても、例えば火曜日は350人で・・・と毎日のように新難民を受け入れており、こうした状況の人びとへの支援の必要性が高い、とのことであった。

 配給方法についても検討した。実際にどのような形で手渡されるのがベストだろうか。UNHCRが使用している現物を見せてもらう。みかん箱ぐらいのサイズの縦置き段ボール箱で、「9歳から11歳」という表示ステッカーと側面に内容物リストと個数を記入するようになっている。世代で分けるタイプだ。キャンプ内の学校や、リーダーを持つコミュニティー単位での配給には適しているだろう。
 1つの家族の平均的な世代・男女比の見当がつけば、大人のジャンパー、ジャケット、子どものセーターなどに帽子、毛布、タオル、靴など加えて1パックにして、家族ごとに配給するのはどうか、とクレイシ氏が提案する。当然家族によって余剰分や不足分がでるが、それぞれが交換しあって補完できるのではないかと期待する。
 このような局面で、どちらがより即効性をもち、有益であり、かつ難民の人びとに受け入れられるのだろうか、しばし悩む。でも長い間悩んではいられない。

 これを受けて、担当者は、UNHCRの配給する家族パックの中に組み入れてはどうかと提案した。
 これはUNHCRが難民家族ごとに用意する支援物資一式のキットで、このキャンプのケースだと、現場での調整を行う某アメリカ系NGOの提供する調理器具セット、油、茶、砂糖とUNCHRの提供するテント、ビニールシートをまとめることをすでに計画しており、それにJITの提供する衣料品、特に毛布を加えて配給する、という可能性も考えられるという。
 キャンプによって難民自身のニードやキャンプの運営形態、支援体制がどの程度確立されているかなど条件が異なり、それぞれに対応していく必要がある。

 事務所を出ると、今度はひとりの老人が近づいてきた。ジェスチャーから察するところ、お金を求めているようだ。ウルドゥー語がよく通じない。クレイシ氏が「カンダハールからですか、カブールからですか。」と尋ねると、ガズニと答えた。彼もまたアフガニスタン人だった。
たこあげを見せてくれた少年たち 大通りに出てリキシャをひろう
 時間が無いので運転手を待たずに大通りにでて、リキシャをひろってホテルに戻る。この街の風物詩とも呼べるリキシャも、3月からは交渉いらずのメーター制に変わるそうだ。
 昼過ぎ、クレイシ氏とタンウィール氏は金曜日の礼拝へ、その後クレイシ氏は空港通りにある倉庫へ行き、サラブ倉庫からの物資の移動の状況を確認しに出かけ、タンウィール氏はこの数日間にカラチ港に新たに到着した13基のコンテナの税関手続きのため、午後便でカラチに飛んだ。
 
  
 私はその間、ホテル前のジナ通りを隔てて真正面にあるインターネット屋へ。この仕事が案外時間を要する作業になる。コネクションが異様に遅い。インターネット・エキスポローラの画面の右上にある小さな地球儀は勢い良く回ってるいるのに、全然つながらない。右下にある青いゲージが1ミリずつジワジワと伸びていくのをただひたすら、根気良く待つだけだ。2日前は1時間以上粘った挙句、とうとう自分のホットメールにもアクセスできなかった。今日も、フロッピーにおこした昨日のレポートを添付で送信するだけのために1時間以上かかってしまうのだ。

 インターネットの青ゲージ同様、役所や諸機関まわりもまた、待ち時間が長く、忍耐力が要求される。ただ、この時間に新聞などを読んでいると、日本のメディアでは扱われないような地元ならではのニュースや視点をうかがい知ることができるという点で、貴重な時間ともいえる。

 ここ数日間のヘッドラインはカシミールの戦闘と、パレスチナ・イスラエル関連が主だが、クエッタのウルドゥー語地方紙「マシュリク・クエッタ」の23日付けでは、キューバに拘留されているアルカイダ兵に対する米軍の非人道的な扱いについて、1面で取り上げている。

 また読者投稿欄では、ハリド・マホメド教授が次のように述べている。
 「アフガニスタンでは無理やり暫定政府がつくられたが、うまくいくかどうか危惧している。審判の日のように、大変なことが起こるかもしれない。
 パシュトゥン人があまり参加できていない政府は疑問に思う。多くのパシュトゥン人はいまだにタリバンを支持している。
 タジク・グループがカルザイ首相にプレッシャーをかけている。だからカルザイ首相はタジク・グループを抑制するためにアメリカの軍事援助を取り付けなければならなくなっている。 確かにカルザイ氏は国の復興に真剣に取り組んでいる。カンダハル陥落の際、カルザイ氏がタリバンに対し武装解除と引き換えに和解の方向に向けようとしたことから理解できる。しかし結局アメリカがそれを許さず、最後まで追跡し続けることになったのだ。
 アメリカの責任は重い。多民族間の内戦と空爆によって大勢の人びとが犠牲となった。
 そのことに対して、アメリカがアフガニスタンに対してできることとは、一体なんだろうか。」

 24日付けの英字地方紙、「バロチスタン・タイムス」では、トルカム国境で使用済みの爆弾のスクラップを売る少年の写真が掲載されている。少年の表情は暗い。
 
 同誌の読者投稿欄のイフティカル・アフマッド氏による「私たちは何を得たのか」という一文の中に、パキスタン人のひとつの視点を見ることができるだろう。
 「パキスタンは、アメリカと西側諸国がアフガニスタンにいる私たちモスリムの兄弟を殺す、という行為を助けてきたが、アメリカなどの利益のために犠牲となっただけで、私たちに、得たものは何ひとつ無かった。」と、パキスタンが日本政府からの円借款の帳消しを拒否されたこと、アメリカの中東政策などを取り上げながら、当初期待されていた経済的なメリットがほとんど無かったことを指摘している。
 今まで沈黙していた大多数のパキスタン人も、もう騙されないぞと締めくくっている。
使用済みの爆弾のスクラップを売る少年の写真
 今回の古着を贈るキャンペーンの中心で働いているジャミーラ高橋さんと、ザイナブ月舘理恵さんが昼に到着、合流し、さっそくその足で倉庫に向かい、仕分けの作業を終えて夕刻ホテルに戻る。

 倉庫間の搬入・搬出の現場監督として1日出かけていたジア氏が、ぐったりと疲れて戻ってきた。外での作業で体が冷えきってしまったという。

 今日のミーティングを受けて、UNHCRの他のスタッフから電話が入る。
 明日、新たに200家族がラティフアバード・難民キャンプに入るが、古着の配給ができるかどうか、という話だ。配給のためのこちらの準備がまだ完全ではないので、どのような段取りで実施できるかを打ち合わせするため、スタッフが22時にホテルまで訪ねてくれた。
 彼が担当している3つのキャンプ、ラティフハバード、今日のHCR事務所で検討されたモハメド・ケイル1と2についての経緯、現状、今後のプランについてブリーフィングを受ける。
 (詳細は明日のレポートで・・・)

 かくして、明日13時よりラティフアバード難民キャンプにて、第1便の古着配給が実現する。
(報告:漆原比呂志 クエッタにて 1/26.01:00)
| 1-1 (1/21~23) | 1-2 (1/24) | 1-3 (1/25) | 1-4 (1/26) | 1-5 (1/27) |

text and a photograph by Mr.Urusibara 禁・無断転載