アフガニスタンからのレポート
1−2
禁 無断転載

2001年1月24日

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Quetta
最低気温:-5℃
最高気温:11
天気:Sunny
湿度:39%
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 よく晴れている。
 午前中、クレイシ氏はアフガン難民組織管理事務所へ活動の許認可手続きに、昨日の夕方からクエッタに入っているタンウィール氏はUNHCRへ配給方法について検討、今回コンテナの動きを現場で調整しているジア氏は到着したばかりのコンテナを確認しに倉庫へと、それぞれの場に出かけて行く。

 UNHCRでは、本来ならば配給を受ける難民の家族の構成を調べ、男女・世代別に人数に応じて必要数をパックして、所帯ごとに配給するのが確実な方法だとの提案を受けた。だが、男女・世代をミックスで梱包されてきている今回到着分の仕分けをこちらで行うとなれば、それだけで3,4日かかってしまうという点を考慮すると、とにかく現物を現場に搬入し、現場ではUNHCRのコーディネートで仕分け、配給することで早急な対応ができるのではないか、とタンウィール氏は考える。

 午後ホテルにて集合、2時からの昼食を済ませ、到着した物資の確認のため、倉庫2ヶ所に出かける。

 1ヶ所目の倉庫は、クエッタ市内からカラチ方面に伸びる国道を南下し、車で20分ほどのところにあるサラブという地区にある。
 商店が立ち並び、人や車の往来も盛んなクエッタ市内を一歩過ぎれば、すぐに荒涼とした平原が広がる。この薄茶色に乾ききった平原も、つい数年前までは緑で覆われていたという。昨今の国際情勢によって、アフガンが注目される中、その3年に及ぶ厳しい旱魃の状況が世に知られるようになったが、実際はこのパキスタン内のバロチスタン州の被害の方が甚大であったともいわれている。 平原を取り囲む山脈にしても、今その頂に白い雪がうっすらと乗っかっているのだが、数年前ならば山ごと真っ白だったらしい。ここに住む人の話では、70年・80年代はこの季節は夜いつも零下になり寒さが厳しかったが、90年代ごろから段々暖かくなってきているとのことだった。地球温暖化の影響だろうか。
サラブ地区までの道
 人影もまばらな乾燥地帯の分れ道を入っていくと、レンガの塀に囲まれた砂っぽい倉庫群に突き当たる。倉庫がドーム型でユニークだ。ドームに入ると、中はコンテナ4基分の古着が山積みされていた。ダンボールに梱包されているもの、黒ビニールに詰められているものが分けられて、ドーム一個分占領している。唯一、私たちの物資と分けられていたのはスリランカのカラチ領事館からのアフガン支援物資、セイロンティーの木箱の山だった。
 それにしても、どうやってこの山を配りきれるか、しばし呆然としてしまった。とてつもない量に見えてきた。が、同時にこれらのものを今緊急に必要としている、とてつもない数の人々がいるのだ。
サラブ地区の倉庫内
 市内を経由し、2ヶ所目の倉庫に移動する。風は冷たいが、日差しは強い。
 今度はクエッタ市内から向かって50キロ北上していく。緩やかな丘を越え、1時間20分ほどの距離だ。緑はない。らくだの隊列の横をすり抜けていった。
 移動中に日没を迎える。年老いた運転手のアリ氏が車を止め、乾いた大地に身をかがめ、祈りを始めた。夕焼けのオレンジ色が彼を照らした。
らくだの隊列の横をすり抜けていった。 夕焼けのオレンジ色が彼を照らした。
 アフガニスタン国境地点チャマンへの道との分岐を東にまわってしばらく走ると、倉庫のあるプシン郡に入る。到着したのは18時10分、もう暗くなり始めていたが、ちょうど3台めのトレーラーが40フィートコンテナをドーム型の倉庫入り口に付け、ワーカーたちが搬入しているところだった。ここにコンテナ5基分を入れる。
3台めのトレーラーが40フィートコンテナをドーム型の倉庫入り口に付け、ワーカーたちが搬入しているところ
ナイター設備完備のドーム型スポーツクラブ?を倉庫に借りての作業
 先に行ったサラブ地区のドーム倉庫より、ずいぶん大きい。どのくらいの大きさだろうか、直径は24歩分あった。(ただし、私の歩幅は結構短い)
 ドーム内の壁に沿って入り口正面左から順に、1,2,3基分のコンテナの中身が山積みされている。
 もともと倉庫だが、底はコンクリートでコートのラインがしかれ、普段はバトミントンや卓球をするスポーツクラブとして使われている、とラケットを抱えた少年が教えてくれた。そのとめ、かどうかはわからないが、竹を支柱にして木片に裸電気5個を埋め込んだ、手製の照明塔2台があるので、この夜の作業も明るい環境を確保できた。こんな田舎で、ナイター設備完備のドーム型スポーツクラブとは、おしゃれだと感心していたら、私の頭のすぐ後ろにあった配電盤からいきなり火花が飛び散り、同時にすべてが真っ暗になった。おかげで現実に引き戻された。

 ドーム内にいる30人ほどの人たちの中で、ジア氏が朝からここで現場監督をしている。  ただ、実際に荷物を運んで働いている日雇いのワーカーは10人で、皆黙々と働いていた。10代から60代と思われる年配の人まで、皆男性でアフガニスタン人である。ウルドゥー語を普通に話すことからみても、ここ十数年はパキスタン内で暮らしている人々と思われる。裸足で作業している人も多かった。
金属製の封印を金槌で壊す
 4基目のコンテナが入る。コンテナの扉の鍵のところに金属製の封印がしてあり、そこを金槌で叩いて壊すのだが、その場面をビデオに収めろとワーカーたちに呼び出される。確かに封印を確認することは内容物がきちんと運ばれてきたかどうか証明する上でとても大事。
 扉が開くと、ただちに荷物が運び出される。私もいくつか運んでいたのだが、「あっちで休んでいいよ」とばかり、完全に邪魔扱いだ。

 無事コンテナ5基分の荷物の搬入を終えた。残りの2基は現在カラチの税関を越え、クエッタに向かっている。
 この7基合わせて60トンになる。個数にすると3,540個だ。
 2001年11月29日東京出発の長旅を、たった今終えたばかりの荷物たち。あとはここからそれぞれの目的地に別れていくだけだ。
 今、山積みになった5基分だけでも眺めると、壮大な風景である。
  
 アフガンのワーカーたちは皆、とてもフレンドリーだった。何度もチャイ(お茶)をすすめてくれた。多くの人がThank
you very much!、と笑顔で握手を求めてきた。
 搬入作業中に開いてしまった段ボール箱から真新しいタオルを抜き出して、1枚だけちょうだい、と言ってくる人もいた。その人を見て想像するところ、きっと本当に欲しかったのだろうし、1枚ぐらいいいかも、という気持ちもよぎったが、笑顔で首を横に振るしかなかった。心は痛むのだが。クレイシ氏の説得もあって理解してもらえたようだった。

 作業した皆と握手して倉庫を離れたのは20時30分。移動中の車の中では、今見てきたものを、果たしてどうやって配るかの議論。仕分け整理した上で現場にのぞむべきという意見あり、まずはそのまま現場に持ちこむべしという意見あり。膨大な数、しかし命題は緊急。

 帰路、街灯の類の一切ない深黒の道を、月の光がぼんやりと雲から透している。
 チェック・ポストが全部で7ヶ所あった。銃を背負った警察や軍がすべての車を止め、乗客を顔を懐中電灯で照らし、チェックする。アフガン人の不法滞在者、アヘンや銃器の密輸入を取り締まっているらしい。

 ホテルにたどり着いたのが21時45分。
 古着や毛布が難民の人びとの手に渡るまで、あと一歩。
(報告:漆原比呂志 クエッタにて 1/25.2:00)
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text and a photograph by Mr.Urusibara 禁・無断転載